弾き語りライブ2023「おばあちゃんへ」

2023年9月18日 敬老の日

弾き語りのワンマンライブをしたいから、会場をおさえて欲しいと、自分からスタッフにお願いしライブを開催したのは、恐らく初めてのこと。
沢山の方が観に来てくださり、お客さんとスタッフに心から感謝。

個人的すぎる開催理由だったけれど、小谷流を受け入れ楽しみにしてくれたお客様とスタッフに、「見せかけ社会」を歌う時くらいの声量で、ありがとうと叫びたい。

どうしても行けないけど!と、応援してくれた皆んなにも、叫んでおきます。ありがとう。

さて、ライブのMCで祖母への楽曲「すだちの花」についてお話したことに、少し言葉が足りなかったなぁと思うので、ここに書かせてもらいます。

祖母が最初にお世話になった大阪のリハビリ施設では、スタッフの方々が凄く無愛想だったので色々と心配になり、施設に祖母宛の葉書を自分が面会に行く日を含め365日、7年間ほど送り続けていたら、施設の方々の愛想が凄く良くなったとお話しました。

お世話になり始めた頃は、家族が施設を出る際に、スタッフの方にエレベーターのロックの解除をお願いすると、「忙しいのに!」と怒られたり、面会に行くと嫌な顔をされたりすることがあったけれど、葉書を送り始めると少しずつスタッフの方々の笑顔が見られるようになり、暫くすると会話にも参加してくれるようになったので、しつこく葉書を送り続けて良かったというMCの内容だったかと思います。

付け加えたいことは、怒ったり嫌な顔をしていた方が、激務に疲弊し笑顔になれなかったことを家族も重々承知していたということです。
母も長らく施設の看護師をしていたので、事情は誰よりも理解している様でした。

祖母の様子を教えてくれるようになったスタッフの方から「おばあちゃんはおとなしいけど、いつもニコニコしてくれて、こちらが癒されています」と言っていただき、葉書の効果より祖母の佇まいの効果が大きかったんだと、今思い返しています。

「すだちの花」の通り、祖母を連れて施設から逃げ出そうと思ったことも、何度もあったけれど、それは祖母が一番望まない、一番哀しむことだから、私も家族も自分達の生活をしっかり過ごしながら、静かな心で祖母と接することができました。
それもこれも、施設のスタッフの皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

新曲の「紡ぎうた」は、お客さんの涙のタンクを崩壊させた様でしたが、私も泣かずに歌えたのは、本番のあの一度だけでした。
祖母が一番望むことは、私が泣かずにお客さんにちゃんと歌を届けることなので、その思いで凡そ頑張れたと思います。
凡そ。

そして選曲も、祖母が気に入ってくれていた曲の中から、お客さんがきっと聴きたいであろう楽曲を選びました。
祖母からお客さんへの心遣いと捉えていただけたら幸いです。

それでは、祖母の話は尽きることがないので、この辺りで失礼をば。
ありがとう×100

<セットリスト>

私を返して
子供のような笑い声
眠りのうた
The stone
街灯の下で
嘆きの雪
火の川
終戦の船出
窓越しの夢
紡ぎうた(新曲)
Who
あの夏の日々
すだちの花
手紙

↑着物の余り布で祖母に作ってもらったバッグ。
内ポケットもあり、巾着のミニポーチ付き。
ステージのドリンク台に置いていたアレです。
↑叔父と叔母が保管してくれていた数千枚の葉書の中から100枚ほど残し、親族皆んなでそれぞれ持っています。残りは全て祖母と共に極楽浄土にいきました。OKな宗派で良かった。

2023年1月11日 祖母との暫しの別れ

2023年1月2日に祖母・樫原久子が天国に向かいました。

私の楽曲に大きく優しい影響を与えてくれた祖母の旅立ちを小谷美紗子のファンでいてくれる皆さんには知っていて欲しくて、日記を書きました。
祖母は最も尊敬する大人、女性でした。
私にとって神様でした。

祖母に因んだ楽曲は、SNSに投稿した楽曲リスト+2曲です。
「私を返して」「子供のような笑い声」
「消えろ」「手紙」「runrunrun」
「すだちの花」「終戦の船出」「窓越しの夢」

 

〈久子の開拓〉
祖母は徳島、木屋平の松家家に生まれ、小さい頃は姫のように育てられましたが、小学2年生の頃に家が傾いた為、学校をやめ奉公に出ました。
親元を離れ読み書きも習えず、朝から晩まで余所で働く9歳の女の子、そんな祖母の幼少期を思い浮かべると、心を締め付けられる思いです。
それでも祖母は自分で読み書きを覚え、着物の仕立て、着付けや料理も完璧に熟しました。
奉公先の気難しい大人から「久子は非の打ち所がない」と褒められたと、祖母が嬉しそうに語っていたのを思い出します。
17歳の頃に奉公から戻り、その後も11人兄弟の妹や弟の世話をしながら畑を耕し、戦後は土方仕事もし、まだ赤子だった母を抱えながら村の道を切り拓くと共に、懸命に人生を切り開きました。

徳島の木屋平から京都の丹後へ移り住み、機織りの仕事をしながら二人の娘、私の母と叔母を育て上げました。
「終戦の船出」の通り、京都は丹後の与謝峠で、町の人にあたたかく受け入れられ、仕事や住む場所を探す援助を賜ったことは、ずっと忘れず感謝の気持ちで一杯だと常々語っていました。
私が成人した頃、祖母と母とで与謝峠を訪れ御礼回りをした際には、当時お世話になった町の人があたたかく懐かしんでくれました。
私は、再会に泣き笑いする姿や人の情けの美しさに感銘を受け、日本の田舎に残る財産を楽曲にしたいと思いました。

 

〈駅のホーム〉
私が幼い頃は両親が共働きだったこともあり、祖母が同居で私と兄姉の子守りをしてくれていたのですが、様々な事情で祖母が大阪に住む叔母の家に移り住むことになり、祖母とは離れ離れになりました。それが私の人生初の絶望でした。両親にもこれ以上ないほど愛されて育ったのに、何故か祖母がいなくなった家は絶望の館の様に感じました。
その後は幼稚園の頃から大人になるまで、春、夏、冬休みは、私が大阪に行くか祖母が京都に来るなどして、毎年共に過ごしました。
休み明けのお別れは、いつも駅のホームでした。駅のホームで泣きながら祖母を乗せた電車を追いかけたり、祖母の電車がとまる次の駅まで自転車で追いかけたり。又は自分が乗った電車を追いかける祖母を私も追いかけ、電車の後方まで走ったりと、再会の喜びと別れの哀しみを繰り返す日々を過ごしました。
季節毎に揺れるそんな日々が、私に言葉を与えたのではないかと、今ふと思いました。

 

〈何故こんなに大好きなのか〉
私は煩悩塗れの宗教以外は、どの宗教も好きです。聖書に書かれている言葉は、人間があれこれ編集した言葉ですが、所々神がかっていると感じます。他の神様の教えも、とても納得のいく道徳感に溢れた仰で、権力者の都合に沿って編集された屁理屈以外は、傷付いた人の心を癒す力があると感じます。

私が思うに、神がかっていると感じる道徳、その上を行く人間の他人への思いやり、思いやる為の作法、気配り、家族への愛、その全てを備えた祖母だから、こんなにも大好きなんだと思います。故に祖母は私の神様です。

孫である兄と姉も、いつも祖母の取り合いをしていた様で、兄は京都から大阪まで自転車で祖母を追いかけようとしたことがあった様です。
行く先々で、家族以外の人からも敬愛された祖母を大好きになるのは自然なことでした。

得意料理は、かぶら漬け、鯖寿司、丹後のばら寿司、山椒の葉の佃煮など。本物の糸の様な錦糸卵や、本当に咲いている様な菊花かぶらを添えたお料理には、家族皆が感服しました。娘も孫も見習う気が失せるほどでした。
でも、やはり母は要所要所受け継いでいて頼もしいです。

 

〈この十数年〉
祖母は「介護が必要になったら必ず施設に入れて欲しい。面会は来なくて良い。親戚にも知らせなくて良い。あの世からお迎えが来たらお線香を一本だけあげてくれたら良い。子どもや孫に負担を負わせないことが一番の幸せ。仕事を第一に。」と常々言っていました。
転倒で車椅子生活になった後は、長らくリハビリ施設で頑張りました。この数年お世話になった施設では、とても丁寧で思いやり溢れるケアをして頂き、コロナ禍のリモート面会や窓越しの面会も快く手配して下さり、家族一同心救われる思いで一杯でした。祖母も最後までニコニコしていたとのこと。
家族葬にはケアマネージャーの方々も来て下さり、最後まで大切にして頂きました。
改めて、このコロナ禍にも奮闘する介護士、看護士、栄養士、医療に携る全ての方々に心から感謝致します。
葬儀場のご担当者様からも細やかなお心配りを賜り、それぞれのプロの方々から沢山のことを学び、哀しみと喜び、寂しさと温もり、凡ゆる感情が交わる豊かなお別れ会ができました。

SNSでのご報告にも沢山のメッセージを頂き、また親族其々の仕事仲間、友人や親戚の皆様からご供花を賜り、心から感謝致します。

私は祖母にまた会う気満々でおります。
何処かの世でまた会えるまで、皆様に少しでも恩返しできるよう、歌って参りたいと思います。

長文を読んで下さり、ありがとうございました。
「人の情けに見えた夢。
私の人生、故に幸せ。久子」

 

ODANI MISAKO 25th anniversary BAND TOUR「Uhehe」 日記(長いで!)(ホントに長いで!)

Ba. #二宮友和
この上なく分厚い音色で、
母印を押す様に丁寧に音を置くベーシスト。
なのに、一気にバンドサウンドにしてくれる。
その経験と生き様に私は敵わないけど、
仲間になれたことは、私の誇りです。
「音」のベースには、RHから嬉し泣き。

Dr. #玉田豊夢
たたく度に上手くなる。凄いこと。
才能に甘えず努力する姿。
見習いたいけど、無理なレベルです。汗
太鼓の神様にロックアウトされている。
アレンジャーの高野勲氏に、
「このドラマーだけは手放すな!」と言われ、
一応、私もある意味ロックアウトしています。

Gt. #田渕ひさ子
みんなが惚れるよね〜。
「見せかけ社会」のエンディングのところ、
キターーーーー!
私も客席から観たかった。
でも、歌ってて良かった!!
ひさ子ちゃんに会えたから。もう本当に大好き♬
 

終わっちゃった。トホホ。
皆様、本当に誠にありがとうございました。

今ツアーの選曲は、
全てのアルバムから最低一曲をピックアップ。
YouTubeでのリクエスト曲も入れたよ。

ツアーが始まってから、
デビュー曲が入っていないことに気付き、汗。

・忘れ日和 (自分の心に納得した曲)
・Who (前向きになれた曲)
・ファイトバック即興曲 (怒りを糧にハッピーになれた曲)
・眠れない (みんなの葛藤を一緒に歌う曲)
・Out (宗教イザコザ撲滅キャンペーンソング)
・still have us (崇拝する友の曲)
・明日からではなく (高校の先生に宛てた曲)
・窓越しの夢 (おばあちゃんの曲)
・紫式部 (コロの曲)
・The Stone (恋は早めに終わらせた方が良いという曲)
・ひこうき雲(ユーミンのきっと大切な曲)
・音 (物事が途切れた時のやり切れなさの曲)
・正体 (ヘイトスピーチ撲滅キャンペーンソング)
・Recognize (タヒチの方の曲)
・見せかけ社会 (子どもから大人への苦情と応援ソング)
・雨音呟く (大人も子どもも赤ちゃんも泣くのが仕事です。)
・手紙(北近畿丹後鉄道の列車にて書いた、ふるさと宛の曲)

この様に、実際に接した人や動物との体験を歌っているので、日常が大切。
ステージから日常に戻り、この淋しさから原動力が湧いてくる。
とんちの効いたMCがコンスタントにできる様になることが課題だ。
でも、どうでも良い気もする。笑笑

DJミサコのSEの選曲は、
・Beethoven 「Piano Sonata No.23」
・Beethoven 「Piano Sonata No.8」
by Vladimir Samoilovich Horowitz
・bloodthirsty butchers「ゴキゲンイカガ」
・100s 「扉の向こうに」
・eastern youth「青すぎる空」
でした。

25年間、歌わせてくれた皆様に感謝。
これからの25年もよろピく。

 

 

 

#odani25th

3月25日

久々の日記?

今日から毎月25日に、25周年の催しに向けて、なんやかんやする。予定。
先ずは日記の更新から。
早速、今日のでゅーてぃーを忘れており、今、速攻で日記を書いている。
あと、10分しかない。

ってなことで、今朝思ったこと。

人間はミジンコの気持ちなど気にしない。
神様は人間だけの気持ちを気に掛けている暇はない。
だから、同じ類の生き物同士が気にかけ合うしかないので、侵略など以ての外なんだ。

人は哀しいことが多すぎると、喜怒哀楽などを感じないように進化してしまう。
まだ感情豊かな人間が、1000年後にはどうなっているだろうか。

会えないけれど、1000年後の人々は皆、私達の子どもだろう。
だから、辛い人生でも目一杯哀しんで、喜んで、諦めずに希望を持って、また絶望して、それでもまた夢見よう。
その繰り返しが辛くとも、少なくとも1000年後の私達の子どもの役にたてるだろう。

喜びと哀しみを大切に生きる。
2022.3.25

2020年12月31日

今年は特に大変な年だったけど、
皆さんにお世話になり有難い一年だった。感謝。

コロナ禍はどうなっていくかな。
お年寄りや基礎疾患のある人々の不安や、
医療、福祉に携る人々の苦労の上に立っているような日々。
仕事や交友も儘ならない日々。
人が耐えられるレベルを大きく超えたストレスに曝されているようで、
多くの場合、短期間病気のみと戦うインフルエンザより、
途方も無く厄介だ。
故に笑う、泣く、寝ること等が今凄く重要で、
人類が自分で心を簡単に守る方法を習得する時代になるのかもしれない。

私自身は、振替公演や配信ライブ、映画主題歌の制作で、沢山の人にお世話になりつつ、
計画していた2〜3本のライブが取り止めになるなど、
まぁいろいろあるけれど、ちょっと大丈夫?と思うほど元気だ。
日記を読んでくれている皆んなも、どうかお元気で。
またライブで会える日を心待ちにしている。

そして今年は、
以前楽曲制作でご一緒させて頂いた筒美京平さん、
「MONSTER」でお世話になったエンジニアの平沼浩司さんが、
お亡くなりになられた。
共に作品作りをさせて頂けたことが、どれほど貴いことだったか、
日を増すごとに身に沁みてくる。

来年も一日一日を大切に有難く生きたいと思う。

良いお年を。必ず良いお年を。

ツアー初日中止/名古屋、大阪はやる 振替公演決定/2月5日

久々の日記がこんなんで、面目無い。
一昨日のツアー初日に足を運んでくれたみんなに、
ちゃんと説明すべく、お布団の中でこれを書いている。

11月中旬頃からの喘息と咳による疲労骨折、
快復に向かっていたので、延期は考えずツアー初日を迎えた。

お薬のおかげで咳は止まり、
ステージ上では骨の痛みも消えたが、
泥酔しているような感じで呂律、音感が怪しくなり、
腹筋も背筋も言うことを聞かなくなったので、
9曲目辺りでストップした。
トムヒロは凄まじい演奏をしてくれた。

ごめんよ。

本番ギリギリまで、楽屋でスタッフや他のミュージシャン、
アーティストからのサポートを賜り、
やれることは全部やらせて貰えた。

初日、無事に終えられず無念だったけど、
みんなの優しさが身に染みて、今は幸せを感じている。
不謹慎だけど、感謝の気持ちが一番強い。
振替公演も決まり、先ずは名古屋までに完全に治すと誓う。
2週間あるので、史上最高のツアーができると、
微かな疑いもなくお布団を被りながらワクワクしている。

喘息の発作も出なくなったけど油断せず
2週間の内、1〜2日、ちょっとだけ仕事するけど、
1時間ほどで終えて、あとは冬眠しとく。

一昨日のお客さんの顔を思い出す。
慈愛に満ちた会場の空気、ずっと忘れない。

12月の名古屋、大阪と、来年2/5の振替公演を
心から楽しみに、昼も夜も寝ます。おやすみ。

https://odanimisako.com/news/20191129/

楽曲提供 ☆ 4/17 発売 家入レオ「DUO」

ひさひさびさびさの日記更新。

家入レオちゃんのアルバム「DUO」内2曲、プロデュースさせて頂いた。
「JIKU」は作・編曲、
「サザンカ」はご本人作で、編曲を担当。

「JIKU」はレオちゃんとご飯を食べながら、根掘り葉掘り、レオちゃんの幼少期、何を思っていたのか、今何が嬉しくて、何が悲しいのか、何が歌いたいのか、インタビューをしてから作曲開始。
「The 小谷美紗子 な感じで」とのことだったので、遠慮なく、私の視点でレオちゃんの心を音にした。

編曲は、JIKU=軸なので、中身がぎゅっとした文鎮の様なブレないサウンドにした。
ドラムのパターンや、ベースのフレーズなど、かなり細かく作った。
本来人力では無理なアプローチをベース山口寛雄 、ドラム玉田豊夢がお見事、再現してくれた。
私がコンピューターピコピコでベースとドラムを打ち込んだ時、本当に難しかったので、それを生演奏で再現する奴等、マジの一流さんだと再認識した。チキショー。

そこに、田渕ひさ子ちゃんのギター。
かっこいい女子の一撃が必須だったので、ひさ子ちゃんのギター以外考えられなかった。やはり惚れ惚れする演奏だった。毎度惚れなおす。

そして、レオちゃんの歌ディレクション。
技術的なことは私が言うまでもなく完璧。
彼女は職人。プロ×2だった。
気怠そうに枯れるように歌うところ、迷いを捨てて歌うところ、哀しみの上だけに成り立つ喜び、それを知っている人の感情で歌う、そんな雰囲気だけのリクエストをした。
全て一発で理解して表現する。才女。
ベタ褒め。でもほんと。

「サザンカ」は、ディレクターの方から、本人作詞・曲のとても思い入れの強い大切な曲だから、特別なアレンジが必要だと、デモを聴かせて頂いた。
レオちゃんのギターの弾き語りのデモで、アレンジしない方が良さそうな真っ直ぐな曲だったので、このままで良いのでは?と提案したが、却下。
頭をひねりつつ、自分のツアーの移動中に山や田畑を眺め、アレンジのイメージができあがった。とりあえず花咲か爺さんと同じ手法でやると決まった。

レオちゃんが嫌がったら一巻の終わりだが、コードも少し変えて、突風が木々を大きく揺らすような雰囲気にしてみた。
レオちゃんやスタッフの皆さんが凄く喜んでくれたので、めでたしめでたし。

歌ディレクションは殆ど無し。私の仮うたを気に入ったとのこと、ニュー&ナチュラルなレオ節になった。歌入れ中、感動してちょっと涙出た。

前もって、ギターも弾いて欲しいとお願いしていたが、暫くあしらわれていた。しつこく本人が弾く必要性を述べ続けたら、弾いてくれた。ご謙遜気味だったが弾き始めたらリズムがかっこいい。これからもっともっと弾いてと、ファンの方の思い(たぶん)を代弁しておいた。フフ。

ベースとドラムは決め込まず、トムヒロ相思相愛ラブラブで自然に演奏してもらった。コントラバスの弓と指の演奏で、楽曲がふくよかになった。ピアノは私と私のduo。正にアルバムタイトルとマッチした編曲だ。あっぱれ私。

以上。

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