2023年1月11日 祖母との暫しの別れ

2023年1月2日に祖母・樫原久子が天国に向かいました。

私の楽曲に大きく優しい影響を与えてくれた祖母の旅立ちを小谷美紗子のファンでいてくれる皆さんには知っていて欲しくて、日記を書きました。
祖母は最も尊敬する大人、女性でした。
私にとって神様でした。

祖母に因んだ楽曲は、SNSに投稿した楽曲リスト+2曲です。
「私を返して」「子供のような笑い声」
「消えろ」「手紙」「runrunrun」
「すだちの花」「終戦の船出」「窓越しの夢」

 

〈久子の開拓〉
祖母は徳島、木屋平の松家家に生まれ、小さい頃は姫のように育てられましたが、小学2年生の頃に家が傾いた為、学校をやめ奉公に出ました。
親元を離れ読み書きも習えず、朝から晩まで余所で働く9歳の女の子、そんな祖母の幼少期を思い浮かべると、心を締め付けられる思いです。
それでも祖母は自分で読み書きを覚え、着物の仕立て、着付けや料理も完璧に熟しました。
奉公先の気難しい大人から「久子は非の打ち所がない」と褒められたと、祖母が嬉しそうに語っていたのを思い出します。
17歳の頃に奉公から戻り、その後も11人兄弟の妹や弟の世話をしながら畑を耕し、戦後は土方仕事もし、まだ赤子だった母を抱えながら村の道を切り拓くと共に、懸命に人生を切り開きました。

徳島の木屋平から京都の丹後へ移り住み、機織りの仕事をしながら二人の娘、私の母と叔母を育て上げました。
「終戦の船出」の通り、京都は丹後の与謝峠で、町の人にあたたかく受け入れられ、仕事や住む場所を探す援助を賜ったことは、ずっと忘れず感謝の気持ちで一杯だと常々語っていました。
私が成人した頃、祖母と母とで与謝峠を訪れ御礼回りをした際には、当時お世話になった町の人があたたかく懐かしんでくれました。
私は、再会に泣き笑いする姿や人の情けの美しさに感銘を受け、日本の田舎に残る財産を楽曲にしたいと思いました。

 

〈駅のホーム〉
私が幼い頃は両親が共働きだったこともあり、祖母が同居で私と兄姉の子守りをしてくれていたのですが、様々な事情で祖母が大阪に住む叔母の家に移り住むことになり、祖母とは離れ離れになりました。それが私の人生初の絶望でした。両親にもこれ以上ないほど愛されて育ったのに、何故か祖母がいなくなった家は絶望の館の様に感じました。
その後は幼稚園の頃から大人になるまで、春、夏、冬休みは、私が大阪に行くか祖母が京都に来るなどして、毎年共に過ごしました。
休み明けのお別れは、いつも駅のホームでした。駅のホームで泣きながら祖母を乗せた電車を追いかけたり、祖母の電車がとまる次の駅まで自転車で追いかけたり。又は自分が乗った電車を追いかける祖母を私も追いかけ、電車の後方まで走ったりと、再会の喜びと別れの哀しみを繰り返す日々を過ごしました。
季節毎に揺れるそんな日々が、私に言葉を与えたのではないかと、今ふと思いました。

 

〈何故こんなに大好きなのか〉
私は煩悩塗れの宗教以外は、どの宗教も好きです。聖書に書かれている言葉は、人間があれこれ編集した言葉ですが、所々神がかっていると感じます。他の神様の教えも、とても納得のいく道徳感に溢れた仰で、権力者の都合に沿って編集された屁理屈以外は、傷付いた人の心を癒す力があると感じます。

私が思うに、神がかっていると感じる道徳、その上を行く人間の他人への思いやり、思いやる為の作法、気配り、家族への愛、その全てを備えた祖母だから、こんなにも大好きなんだと思います。故に祖母は私の神様です。

孫である兄と姉も、いつも祖母の取り合いをしていた様で、兄は京都から大阪まで自転車で祖母を追いかけようとしたことがあった様です。
行く先々で、家族以外の人からも敬愛された祖母を大好きになるのは自然なことでした。

得意料理は、かぶら漬け、鯖寿司、丹後のばら寿司、山椒の葉の佃煮など。本物の糸の様な錦糸卵や、本当に咲いている様な菊花かぶらを添えたお料理には、家族皆が感服しました。娘も孫も見習う気が失せるほどでした。
でも、やはり母は要所要所受け継いでいて頼もしいです。

 

〈この十数年〉
祖母は「介護が必要になったら必ず施設に入れて欲しい。面会は来なくて良い。親戚にも知らせなくて良い。あの世からお迎えが来たらお線香を一本だけあげてくれたら良い。子どもや孫に負担を負わせないことが一番の幸せ。仕事を第一に。」と常々言っていました。
転倒で車椅子生活になった後は、長らくリハビリ施設で頑張りました。この数年お世話になった施設では、とても丁寧で思いやり溢れるケアをして頂き、コロナ禍のリモート面会や窓越しの面会も快く手配して下さり、家族一同心救われる思いで一杯でした。祖母も最後までニコニコしていたとのこと。
家族葬にはケアマネージャーの方々も来て下さり、最後まで大切にして頂きました。
改めて、このコロナ禍にも奮闘する介護士、看護士、栄養士、医療に携る全ての方々に心から感謝致します。
葬儀場のご担当者様からも細やかなお心配りを賜り、それぞれのプロの方々から沢山のことを学び、哀しみと喜び、寂しさと温もり、凡ゆる感情が交わる豊かなお別れ会ができました。

SNSでのご報告にも沢山のメッセージを頂き、また親族其々の仕事仲間、友人や親戚の皆様からご供花を賜り、心から感謝致します。

私は祖母にまた会う気満々でおります。
何処かの世でまた会えるまで、皆様に少しでも恩返しできるよう、歌って参りたいと思います。

長文を読んで下さり、ありがとうございました。
「人の情けに見えた夢。
私の人生、故に幸せ。久子」

 

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